平瀬由佳の日記
2008年6月11日〜20日の日記

2008年6月11日

某VP☆すっぴん撮影
本日は某VPの撮影だったんだけれど…☆
久し振りのすっぴん撮影でござったよ。


役に合わせて目の下に程よいクマも出来てバッチリその役っぽくなったよ☆(笑)
着させて頂いた着物もとても素敵で、ヘアーメイクもとても素敵な風に作って頂けて、衣装・ヘアーメイクが完成した姿を鏡で見たらすんなりと役になりきれて気持ちが良かったよ☆★
衣装さんやヘアーメイクさんって本当に凄いなぁ!!
1人の人間を、どんな雰囲気にも変えてくれるんだものね!



2008年6月12日

化粧惑星の試供品
化粧惑星の試供品を貰ったよ〜☆★
この季節のUVカットサンプルは、すっごく助かるよね!!
なんてったって焼けやすいからな〜〜〜。。。。。。
時々使い忘れて古くなっちゃう試供品とかがあってもったいないので…、試供品は貰ったらすぐ使う!これを心掛けよっと♪


2008年6月13日

変顔レベル0.1
あい〜、夏バテ疎遠の変顔レッスン、久しぶりにいくよ〜〜〜!!!!!!!!!
レベルが高ければ高いほどモテまくり☆★

変顔レベル0.1。


レベル0.1は、側溝の湿った所に生えている名前不祥のキノコと同じレベルじゃ。おのれ、カスが!!!!!これではキノコに興味津々の子ども達にすら興味を持って貰えん。

ゆけ〜〜〜!!!!!
修行じゃ修行じゃ〜〜〜!!!!!


目指すは国産マツタケ様。店頭で団地妻の胸を「キュン」といわせる存在じゃ〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!

2008年6月14日

幸せな1日

今日はお餅様のお誕生日!!!!!
お餅様、おめでとう〜〜〜(@>∀<@

お餅様も私もお出かけが大好き!!!!!
そこで今日はお出かけ三昧したよ〜☆



のんびりとカフェでくつろぎ、



お洒落な雑貨屋さんを巡り、



「ここに住んだら妄想」を楽しみ、



くつろぎの空間デザインに酔いしれた。
真似出来るところは真似しちゃおう〜☆



 

我が家でプチコース
今日はお餅様のお誕生日を祝って!!
プチコース料理を作ったよ☆



春雨の皮をハート型に切って揚げ、
それをベースにあれこれ☆★



デザートは珈琲ホットプチケーキ♪



お餅様のお誕生日を祝うのは15回目だなぁ。
来月には付き合って15周年を迎えるしね。
来年の今日もお餅様と健康に過ごせますように☆

2008年6月15日

お餅様の御実家へ☆★
今日はお餅様と、お餅様の御実家へ♪♪(@´∀`@
そしてそして☆素敵な御馳走を頂きました!!!!!!
お餅様のお父様とお母様はお料理の天才なの☆★


パクッと頂いた瞬間!!!
もっちり☆ふんわり☆ジューシー☆うまうま☆
なんという美味しい事〜〜〜〜〜♪♪♪
カツサンド&えびロール&卵サンド&野菜サンド&ハンバーグサンド&サラダ(特製ドレッシング)、すべてに衝撃を受けつつ美味しく頂きました♪その結果…↓


 ( ^Q^ )
        ポトッ(ほっぺたが落ちた)
     




いつも真似して作りたいと頑張ってみるんだけれど、どうしてもこの美味しさには届かない。
でもさ、まずは出来るところからだよね!!あれこれ取り入れさせて頂こう〜〜〜!!!(@>∀<@



それから、とっても可愛いスカーフやペーパーナプキンを頂きました☆か、かわいい〜〜〜!!!!!!!!!ガッツリ使わせて頂きます☆★ありがとうございます〜〜〜〜〜(^◇^





2008年6月16日

まねき猫を食べる
出た〜!!美味しい招き猫☆★



招き猫型抹茶マドレーヌ。
美味しい上に幸運を呼んでくれそう♪

2008年6月17日

教育と洗脳の危険性
【ご注意】
今日の日記は、正しく体験談を伝える為に、暴力的な言葉の表現を使用しています。精神状態に不安のある方は読まないで下さい。
その点を御理解頂き、興味を持って下さった方のみ読んでいただけると幸いです。
考え方は人によって様々であり、意見の異なる方もたくさんいらっしゃると思います。私の視線から見て感じた体験談ですので、意見の異なる方は読み流して下さい。
実際の地名・人名・その他詳細等はお答えできかねますので御了承下さい。


前にも少し書いた事がありますが、普段私はニュースの話や政治の話などは日記に書かないようにしています。発言には責任が伴うので、色々考えはあっても発言をしないようにしているのです。それはネット上でも私生活でもそうです。(2007.9.1の日記参照


しかし最近は心境に変化があります。ニュースを見る度に、あるいは自分の将来を具体的に想像する度に、問題から目を背けてはいけないと感じるからです。ですから今日はほんの少しだけ、教育に関する自分の体験を書こうと思います。


私は無宗教・暴力は苦手・現在は健康・何の組織にも属さない、一般の30歳女です。自分の意見を書く事により、誰かを傷つけてしまう事は避けたいので、人名や具体的な内容は伏せてなるべく自分の事を中心に紹介します。





まずはじめに。あなたは子どもの頃にクラスで「文集」を作った事はありますか?それは捨てずに残っていますか?残っていたら内容を読んでみて下さい。





(1)文集


私のいた小学校では、1・2・5・6年生の時に文集を作りました。
しかしその文集は実家の勉強机の一番奥に押し込んでいて、小学生の時からずっと開く事が出来ませんでした。そして昨日決心し、実家へ立ち寄って文集を持って来ました。そして昨夜、遂にその文集を開きました。


まずこちらは、小学2年生の時の私が書いた作文です。


「二年生の思い出」2の1 ひらせ ゆか

 二年生になってからも、いろいろな思い出があります。みんなとあそぶ日が、いっぱいありました。冬になると、休む子が、多くなってきました。その冬でわたしも一月17日金曜日、びねつで休んだことがありました。その時わたしは、(今ごろなにしてるかなぁ。)と思ったり、(今日はなにするのかなぁ。)とばっかり思っていました。
 みんなとあそぶ日は、ほとんどドッジボールでした。かったりまけたりいろいろありました。ほとんどわたしたちの組がかっていましたが、とったりあてたりするのは、たまにしかできませんでした。でも、とったりあてたりするのが、たまにできたのでよかったです。これからも、がんばりたいと心から思っています。

 それに、なわとびうんどうがありました。なわとびうんどうは、わたしの大好きなうんどうです。できないのもありますが、一番大好きなうんどうです。それに、まだあります。体育のことです。体育では、休むこともすくなく、楽しかったです。でもやっぱり、体育でも、ドッジボールを一番多くやりました。ドッジボールは、わたしの一番好きなあそびです。



そしてドッジボールをしている絵が描かれています。
次に紹介するのは、小学5年生の時の私が書いた作文です。




一本の道           平瀬 由佳

 わたしがこの一年間の中で、とくに力を入れたことは、クラス作りです。クラスのみんなの心を一つにするために、いろいろな時間を利用してきました。今では、少し心がまとまりかけて、いえ、ほとんど一つの心になっています。
 でも今まで、とても大変でした。音楽会を通してのクラス作り。クラブの練習と重なりあって、少しこまることもありましたが、音楽会もぶじにすませれました。そして、クラス作りは、その音楽会の練習のおかげで、コツコツと進んでいきました。けれども、今でも、何かが足りないくらいで、これからもクラス作りにはげみます。
 それと、この五年■組になって、とてもよかったです。大切な物を、たくさん見つけることができました。とっても大事なことに、今ごろ気付いたのはおそかったのですが。
『先生、友達、親、歌、夢。』
それでも、一番大切な、大事な物とは、『心』です。まだまだ数えきれないほど、大事な物はあります。それを教えて下さったのが、■先生であり、みんなでもあるのです。クラスの一人一人が真赤な血の流れる人間です。ロボットではありません。心のある人間です。
 わたしは、ずっとこのままの先生とみんなでくらしていきたいのです。しかし、初めての出会いから、別れが近づいて来ています。
 別れるときは、せめて、わらいながら「さよなら」を言います。



次に紹介するのは、小学6年生の時の私が書いた作文です。


四月八日     先 生 へ    平瀬 由佳

 わたし達は、今とてもボケッとしています。本当のみんなは、手はひざの上で動かなく、だれも、おしゃべりなどもしません。
 しかし、春休みなどの休みが終わると、足をぶらぶらさせたり、そんな事を毎回しています。
 もし、そのように、足を少しでも動かしたり、手を机の上にのせたり、ぎょうぎが悪かったりしたら、強くしかって下さいませんか。わたしからこのようなことを言ってはいけないのですが、手なぶりとかいう、そんなようなことがあれば、
「授業をしたくないのですか。」
「出て行きなさい。」
 などの言葉を言ってほしいのです。
 きっとみんなのことも知れて、より良いクラスになります。
 これは、きついことでも、なんでもありません。みんなのためにも、よろしければお願いします。



…この文集を読んで、あなたは何を感じましたか?


ちなみに小学5年生の文集では、クラスメイトのほぼ全員が先生への敬意と感謝を書き綴っています。





(2)閉ざされた社会


5年生の時の担任の先生、■先生…。若い男性教諭でした。
彼の初めての挨拶を、私は昨日の事のようによく覚えています。
「いいか、俺が黒板を赤だと言ったら赤だ。これは赤色だ。分かったな。」
そして先生は、黒板を大きな音を立てて叩きました。私は黒板が割れるんじゃないかと思ました。そして「俺が赤と言ったら赤」という発言に衝撃が走りました。
そして先生の教育方針で、クラスには多くのルールが枷せられました。


●先生の授業を受けている時に手なぶりをしない
(動くと叱られるので、書き取り中以外はどんなに手がしびれても動かさない)
●先生の授業を受けている時に足は揃えて動かさない
(かかとをくっつけた状態で膝を90度に曲げて動かさない)
●先生の授業を受けている時にあくびをしない
●教室で起きた事を親に話してはいけない
●先生とクラスのみんなを裏切らない
●毎朝「レッツビギン!」と全員で叫ぶ
●トイレや外から教室へ帰って来たら「ただいま」と言って教室へ入り、教室にいた子は「おかえり」と言う
●誰かが悪い事をしたら全員で注意する
●先生と話す時は言葉遣いに気をつける
●クラス作りを全力で頑張り、全員が心の通じ合った友だちになる


他にも細かいルールが色々ありました。そして誰かがルールを破ろうものならば、授業は即中断され、その子は立たされ全員から白い目で見られ、嗚咽しながら泣いて謝罪しても長期間許して貰えないのでした。
誰かがこの状況を親に話したのですが、大変でした。その後クラス会議が開かれ、


「○○君が親にこういう風に話した。○○君のこんな卑怯な行為は許されない。人を裏切る事は最低な行為で、将来犯罪者になるぞ。○○君は先生ではなく、クラス作りを頑張っているオマエラ皆(クラス全員の事)を裏切ったんだ!クラスが1つになろうとしているのを邪魔しているのはお前(○○君の事)だ!全員に謝れ!」


…という内容のお説教が何時間も続きました。初めは恐怖を感じるのみだった私でしたが、そういう生活が毎日続くとそれが当たり前になりました。今思うと環境に適応する能力が働いたのでしょう。





(3)先生に誉められたい


先生によく叱られるクラスメイトを見ては、「あの子はランクが低い」と思うようになりました。とは言ってもルール上では全員が心の通じ合った友だちでなくてはなりません。ですから泣いているクラスメイトには優しい言葉をかけて慰めました。そして慰めつでに
「先生はあなたの将来を考えて叱って下さったのだから、あなたは幸せだと感じなくてはいけないよ。」
と付け加えて言いました。するとそれを先生はこっそり見ていて、後から私個人を呼び出して必ず誉めてくれるのです。
誉め方には色々ありましたが…、


「平瀬、オマエのお陰でクラスのみんなが団結してきたよ。オマエの力が必要だ。俺はオマエを信じている。頑張ろう。」


私はその度に優越感を感じ、自分は先生に気に入られている特別な存在で地位が高いのだと感じていました。


私はすっかりその環境に慣れてしまい、別のクラスの子が■先生の悪口を言っているところを耳にした時には、私はその子に「苦しんで死ね」と言った程でした。私にとって■先生は神であり、命の源であり、愛する人でもあったのです。





(4)心の病に追い込む


小学4年生までは友達も多く、ギャグを言ったり物まねをしたりしてワイワイ楽しくやっていた私でしたが、5年生を境に率先してクラスメイトを慰めたり、ルールを破った子を責め立てたりする攻撃的な性格になりました。
そんなクラスでしたから、明らかに異常を来す生徒も出て来ました。


特に著しくそれが現れたのが◆さんです。
◆さんはとても器量の良い女の子で、小学4年生までは元気で明るく活発で、それでいて少し照れ屋な性格で、男の子からも人気のある子でした。思いやりがあり、私が忘れ物をした時にはあれこれ貸してくれた事もありました。人の気持ちを察する事が出来、誰かが落ち込んでいるとそっと隣に言って話し掛けるそんな子でした。


その◆さんは、授業中にじっとしている事ができませんでした。
かかとを付けて膝を90度曲げ、微動だせずにじっと座る事は、成長期の女の子には辛い事でした。体に変化が生じる思春期はじっとしていると足が痺れやすく、どうにも辛いのです。(もちろん私も足が痺れましたが、ぐっとこらえて1ミリも動きませんでした。)
◆さんもよほど辛かったのでしょう。時々座り直したりしていました。しかしそれが先生の目にとまり、頻繁に怒濤のお叱りを受けていました。そして皆の前に立たされ、謝らなければ叱られるし、かと言って謝っても言い訳と解釈されてすぐに先生から言い返されてしまう。泣いて謝罪してもなかなか許して貰えず、いつまでもネチネチと叱られる…。頻繁にクラスメイトの静かな視線が◆さんに集まるのでした。
そんな日が続き、ついに◆さんは喋る事が出来なくなりました。会話は愚か、話し掛けても「あ、あ。」としか返って来なくなったのです。目の焦点が定まらなくなり、夏休みを期に治療の為と称して引っ越して行きました。


先生が◆さんの引っ越しの報告を私達に説明した時は明らかに様子が変でした。いつもは意気揚々と口から言葉を放っていた先生が言葉をつまらせ、私たちの目を見る事も無く、


「◆さんは体調が悪く、治療の為に引っ越しました。」


という事後報告でした。きっと私たちに知られたくない何かがあったのでしょう。それから先生は◆さんの事には全く触れる事はなく、私も先生が触れて欲しくないのならば触れないでおこう、◆さんの事は忘れようと思いました。それから数日後には初めからいなかったように感じました。
「全員が心の通じ合った友だちになる」というルールは、先生の中ではどういう意味をなしていたのでしょう。


私はその時◆さんの事を落ちこぼれのダメな子だと思っていました。なんで私はあんなに優しかった◆さんの事を落ちこぼれだなんて思えたのでしょう。◆さんはなんて可哀想なんでしょう。私は今彼女がどうなっているのか心配でなりません。ちゃんと病気は治ったんだろうか。その後気持ちは消化できたんだろうか…。


この先生の教育方針は、私や多くの子たちに後遺症を与えました。





(5)先生との別れ


小学5年の終わり。
先生は別の小学校へ行く事が決まりました。
先生からは少し早い時期にその報告を受けたのですが、その瞬間、私は泣き崩れました。私の命より大事な先生がいなくなってしまうだなんて、どうしたらいいか分からなかったのです。先生はその時、
「別れの日には涙は見せず、笑顔で送ってくれ。」
と言いました。そして、本来5年生では作成しない文集を、みんなの心が1つになったクラスの証に作ろうという事になり、この文集が出来た訳です。それで私の文集の最後は

(略)
わたしは、ずっとこのままの先生とみんなでくらしていきたいのです。しかし、初めての出会いから、別れが近づいて来ています。別れるときは、せめて、わらいながら「さよなら」を言います。

で締めくくられているのです。
先生はこのクラスに満足した様子で、終業式の日には


「オマエラのお陰で、このクラスは世界一の素晴らしいクラスになった。俺はオマエラを誇りに思う。本当にありがとう!」


と言って震えながら号泣したのでした。私は別れの日には涙を見せないと先生に約束していたので先生の前では涙をこぼさず、先生の去った後に号泣したのでした。そして


「他のみんなは先生の前で泣いてしまっていた。先生は笑顔で送ってくれと言っていたのに。私はちゃんと先生の前では笑顔でいられた。私は先生との約束を果たしたから、先生は私のことを1番優秀だと評価してくれているはずだ。」


という、これまでに無い満足感を味わっていたのでした。
私は最高に幸せだったのです。
それから先生がいなくなってポカンとした気持ち。
私にとって本当の地獄の日々は、そこから始まりました。





(6)洗脳教育の後遺症


先生が他の小学校へ行って、私達は6年生になりました。私のいた小学校では、5年生と6年生の間ではクラス替えが無いので、6年に進級してもクラスメイトは同じでした。そして新しい担任は女の先生に決まりました。その女の先生にはカリスマ性は感じられず、私はその先生を見た瞬間に「オーラの無い価値の低い先生だ」と判断しました。


女の先生は、授業中の手なぶりや座り直しを注意する事はありませんでした。それまで1年間懸命に手足のしびれを我慢して、授業中には微動だしなかったクラスメイトたちは、当然のごとく授業中に座り直しをしたり、手を動かしたりするようになりました。その様子を見ているとクラスが崩壊していくのを見ているような気持ちになり、私は強い苛立ちと使命感を感じました。


それで書いた日記が、6年生の文集に掲載されたという訳です。

四月八日     先 生 へ    平瀬 由佳

 わたし達は、今とてもボケッとしています。本当のみんなは、手はひざの上で動かなく、だれも、おしゃべりなどもしません。
 しかし、春休みなどの休みが終わると、足をぶらぶらさせたり、そんな事を毎回しています。
 もし、そのように、足を少しでも動かしたり、手を机の上にのせたり、ぎょうぎが悪かったりしたら、強くしかって下さいませんか。わたしからこのようなことを言ってはいけないのですが、手なぶりとかいう、そんなようなことがあれば、
「授業をしたくないのですか。」
「出て行きなさい。」
 などの言葉を言ってほしいのです。
 きっとみんなのことも知れて、より良いクラスになります。
 これは、きついことでも、なんでもありません。みんなのためにも、よろしければお願いします。

途中に書かれている「授業をしたくないのですか。」「出て行きなさい。」は、■先生がよく使っていた言葉です。


この日記を書いた頃の私は、新しく担任になった女の先生を見下していました。ろくにクラスもまとめられない、なんて能力のない教師かと。根っから洗脳されていた私は、女の先生を叩き直すのは私に科せられた任務だと思っていました。


しかし。
1ヵ月が経ち、2ヵ月が経ち、3ヵ月が経ち…。
クラスメイトの中には少しずつ、明るさを取り戻しはじめた子が現れ始めました。
私はそれもクラスの崩壊への一歩のような気持ちで見ており、相変わらず注意をし続けました。しかしいくら注意をしたところで、新しい担任の先生は私を誉めてはくれませんでしたし、クラスメイトも迷惑そうな表情を浮かべるだけになってゆきました。


気が付くと、私は誰にも本音で話をする事が出来なくなっていました。心の中の大半を歪んだプライドが占めており、本心を人に話す事に抵抗を感じました。4年生まで普通に本音でお喋りをしていた幼馴染みの大親友とも、立て前でしか会話をする事が出来なくなっていました。私は口を開けば
「■先生は、今頃何をしていらっしゃるのかなぁ。」
という具合でした。友人は洗脳から解き放たれようと明るくつとめているのに私は相変わらずで、逆に先生を失ってからというもの更に先生に依存し、先生に会えない不満から体調不良が続いていました。
その結果、私は孤立してゆきました。


約10ヵ月が過ぎ冬を迎える頃には、洗脳がずいぶん解けた子と、なかなか解けずに苦しんでいる子というように子たちは分類する事ができました。私はもちろん後者です。
しかし■先生を信じて頑張っているのに誰にも認めて貰えないという環境のせいか、■先生への絶大な信用は、少し揺らぎはじめていました。


5年生の時には成績はクラスで2番、先生からも最高の性格だと誉められていたのですが、6年生では「真面目すぎて融通がきかない」との評価に。授業中に微動だしない私よりも、元気で騒がしいくらいの子の方が評価されるようになっていたのです。
「こんなに手足が痺れても動かないように頑張っているのに。こんなに熱があるのに堪えて頑張っているのに。何で評価して貰えないんだ!許せない!」
…そんな不満を誰にも知られないようにしながら静かに過ごしていました。


そんなある日。私の中の■先生の存在が崩壊する出来事が起きたのです。





(7)先生に裏切られた


■先生は担任だった頃、
「俺の親父は凄く厳しい人で、俺は反発して、高校生の頃は手のつけられない程の不良だった。まわりの奴らには恐れられていたが、教師になって正しい教育をしようと思い公正した。」
というような事を幾度も話していました。
それが突然「ウソだ」という噂が流れたのです。
■先生が何年も前に受け持った生徒が(私より2つ年上)、先生の高校生時代のアルバムを入手し、そのコピーがまわってきました。そこに載っている先生は細くて小さくて冴えなく泣きそうな表情に見え、そしてグレていたどころか虐められていたというのです。本当に虐められていたかどうかは分かりませんが、写真を見てとにかくショックを受けました。
高校生の時に鍛えていて、ガッチリしていたって言っていたのに。高校のアルバムの写真はスキンヘッドで詰め襟で撮ったって言っていたのに。
髪型や服装は先生の言った風貌とは違っても、アルバムのその子は確かに先生の顔をしており、名前も入っており、先生がウソをついていたという事がよく分かりました。


別に先生が学生の頃に弱そうでも良かった。虐められていても良かった。ただ、先生が私達にウソをついていた事が辛かったのです。
そのやり場のない裏切られた悔しさは、■先生への憎悪となって、この後はち切れそうになってゆくのです。
(今思えばそんな嘘どうでもいい事なのですが、先生がいなくなった後も信じ続け、先生を裏切らないように努力し続けていた私にとっては許し難い事でした。)





(8)先生と心中したい


6年生になり担任の先生が変わった事で、すっかり自分の評価は下がりました。そして私は突然の自暴自棄に陥りました。頻繁に見続ける■先生の授業を受けている夢。いつしか私は、
「■先生さえいなければ、私はもっと明るい私だったのに。」
と思うようになりました。そして■先生と出会った運命を呪うようになっていったのです。心の中ではそんな事を考えながら、しかし誰にもその気持ちを伝える事はできなくなっていました。 友達にも、もちろん親にも悩みを隠し、ただ懸命に作り笑いを浮かべるようになりました。嘘でも笑っていれば、本当に笑える日が来ると信じたかったのです。


その頃私は毎日、■先生をどのように殺すかという想像をしていました。そして■先生を殺したら自分も死のうと想像しました。実際には行動は起こしません。ただ想像をし続ける、それのみです。


そんな自分に嫌気がさし、なんとか過去の明るかった自分に戻ろうとも思うのですが、頻繁に見る先生の授業の夢によって、翌朝にはその希望と気力は打ち砕かれてゆきました。
できれば交通事故に遭いたい。そして頭を打って、そしたら5年生の時の記憶が無くなったふりをして、明るい自分に戻りたい。…しかし事故に遭う事もなく、私はもうこの「真面目できついキャラ」から抜け出す事が出来なくなっていたのです。
今ならすぐに対応できるのにと思います。しかしそれが出来ない。それが成長過程の子どもの精神の限界であり、精神を作る場が学校であるはずです。


心だけでなくもちろん体調に不具合も起きていました。小5〜中3までにかけての血尿。約5年間、ほぼ毎日尿の色はオレンジ(ひどい時は赤)で、検診でも毎回引っ掛かっていました。下痢が続き、便に血液が混ざる事もありましたが、それは黙っていました。それから小6の時には円形脱毛と腎臓疾患(1度検査で引っかかっただけ)と膀胱炎。不眠。そして診断は受けていませんが、おそらく躁鬱の症状が出ていたと思います。





(9)人生はやり直せる


遂に小学校を卒業する日がやって来ました。しかし私は憂鬱でした。中学は、小学校で同じクラスだった子たちが一緒に進みます。クラスメイトの子たちの顔を見ただけで洗脳教育の記憶が蘇り、私は吐き気を覚えました。しかしそんな事は人には言いたくない、そんな葛藤がありました。


真面目な性格を演じ続けなくてはならない中学生時代は、私にとって最悪な3年間でした。そんな時、私は小説を書きました。中学の学級の崩壊を描いた物語です。生徒達が教師を虐めるという内容で、主人公の生徒は率先して教師を虐めていたのですが、ある時教師が自殺する夢を見て、虐めを辞めるという内容です。(これも実家に保管してあります。)
私はこの小説を書ききった後、■先生に復讐したような気持ちになって少し胸がスッキリしました。


それからも私の心の病は続きましたが、その小説をきっかけに決心をする事が出来ました。
「高校は、私のことを知っている人が少ない、家から遠い学校に行こう。」
そして私は家から遠い高校へ進み、自分の心を変えようと努力しました。なかなかすぐに心は明るくはなりませんでしたが、明るくふるまう様に努力しているうちに、作った表情では無い本当の「たのしい」「おもしろい」という感情を感じはじめました。それは5年ぶりの感情でした。





(10)教育の連鎖の危険性


高校に入った私は、部活動(演劇部)に打ち込みました。脚本を書くのも好きだったし、演技をするのも好きでした。私の気持ちを発散させてくれる場所だったのです。
そして私が脚本と演出をする様になった時に、私はみんなが泣くまで追い込んで演出をつけるようになっていました。
ふと気が付きました。これは■先生と同じスパルタだと。
夢にまで出て私を苦しめるあの光景「泣くまで追い込む、泣いても更に追い込む」を、無意識のうちに自分もしていたのです。
私はその事に気が付くと胸が張り裂けそうになりました。


人は何故、自分の受けた教育を人に施してしまうのでしょう。頭で分かっていても止まらなくなってしまう原因は何なのでしょうか。
この時私は、自分はこの状態では子育てをしてはいけないという事に気が付きました。絶対に悪い教育をしてしまう。せめて子どもの心の発育の仕組みを勉強をして、それからじゃないと私は子どもを産んではいけないんじゃないか。
私は高校3年生の夏、
「子育ての勉強をしよう。子どもは30歳までは絶対につくらない。子育てについて分からない時はすぐに人に相談しよう。」
と決めました。


今思うと、■先生の教育はただの自己満足です。自分の考える枠の中に子供達を押さえ込み、ぴちっと整頓して詰め込んでいただけでした。
個々の成長や心の成長や変化は全く無視し、どういう環境によりどういう心が芽生えるかという事も全く勉強しておらず、教育の危険性についても無知でした。先の事は考えずにその場限りの「良い子」に仕立て上げようとしていただけだったのだと思います。


本来教育とは、子どもが1人で生きて行くことができるように学ばせるという目的があるはずです。そしてみんなが安全に暮らせるように、人間が人間の為に作ったものが法律やマナー(ルール)なので、そのルールを守らなければならないという事を教える必要があるはずです。
それを何の意味も無いルールで子どもたちを縛り付け、自分の欲求を満たすかのように扱った教育者には何の責任も無いのでしょうか。何故そのような人格者が教師を続けていけるのでしょうか。
もちろん完璧な人間などは望んでいません。ただほんの少しでもいいから、先生に正しい教育の仕方を勉強しておいて欲しかったのです…。





(11)今の自分に出来る事


洗脳が解け始めた12年前、私は今回紹介した文集を見るのが怖くて何度も捨てようと思いました。それに洗脳された自分の文章を人に見られる事が恥ずかしいとも思っていました。
しかし捨てるのを思いとどまったのには理由があります。大人になったら読もうと考え直したからです。これを捨ててしまったら、何の証拠も残らないと思ったからです。きっと大人になった自分がこれを読んだら、この問題について深く考え、解決案を出してくれると思ったからです。…というか、それを考えられる大人になりたい。そう思っていました。
しかし実際にはこの時期の記憶の後遺症(思い出すと嘔吐・めまい・熱が出るなど)が重く、この文集を開くまでに実に18年という長い年月がかかってしまいました。


文集は捨てずに保管してありましたが、もう捨ててしまった物もあります。先生のフルネームを漢字で書き、「■ ■■ 殿」と「殿」を付けて書き取りしているノートです。これは小学5年生の時に書いた物で、B段のコクヨノートに1冊分、繰り返し埋め尽くして書き取りしてありました。
それからもう1冊。中学生の時に同じようにB段のコクヨノート1冊分に繰り返し書いた文字「皆殺し」。
文集を捨てるのは思いとどまったものの、この2冊のノートだけは存在していると思っただけで耐えられずに、中学生の時に捨ててしまいました。(今思えば、それも保管しておいた方が良かったのかもしれません。)


昨夜この文集を読んだ時には、隣にはお餅様がいてくれました。黙読すると自分の中に恐怖心を閉じ込めるような気がして怖かったので、声に出して音読しました。お餅様はそれをずっと聞いていてくれました。
そして読んでみると、この文集と過去の記憶に勝った気がして、涙が出ました。


文集を読んだ後、昨夜は何年か振りに5年■組の夢を見ました。もちろん■先生も登場しました。
目が冷めてみると、今朝から血尿です。(笑)
もうすぐ20年の月日が経とうとしているのに、人間の記憶というのは不思議なものです。
今の私は■先生に対等な立場で意見を伝えられると思いますが、昨夜の夢の中では小学5年生の気持ちに戻っていた為、心も蘇ってストレスに耐えられなかったのだと思います。


被害者は、もちろん私だけではありません。引っ越して行った◆さんをはじめ、人と関わりを持つ事が出来なくなってしまった◎さん、それから無口になってしまった●君、彼等は今はどんな生活を送っているのでしょう。あの洗脳教育の事をどう思っているのでしょう。思い出す事はあるのでしょうか。


ちなみに先生のフルネームをネット検索してみたところ、2006年には小学校教員として在籍していた事が分かりました。(変わった漢字を使う名前なので、おそらく御本人かと思います。)きっと今も教員なのでしょう。
先生は、今はどんな教育をしているのでしょうか。
とても気になります。


おそらく先生本人も、そういう教育を受けてきたのでしょう。だから本人は何の悪気もなく、それが正しい教育だと信じていたのではないでしょうか。家庭内だけの教育であればその連鎖はその家の子だけに伝えられるのでしょう。しかしそこが学校であると、かなり大勢の子が連鎖に巻き込まれます。(たった1年の教育の場合でもすっかり摺り込まれました。)どうやってそれを防いだら良いのでしょう。私に出来る事は何があるのでしょう。


………こんな話があります。
動物さえも、子育てを放棄する事があります。ある動物園ではゴリラが育児を放棄し、その赤ちゃんゴリラ(メス)を人口保育で育てたのだそうです。しかし人口保育で育った動物は、自分が親になった時に子育ての仕方が分からない為、育児を放棄する事が多いようです。そこで飼育員さんはその人口保育で育てたメスゴリラに、子育てをしている野生のゴリラのビデオを毎日見せたのだそうです。その後、人口保育で育ったメスゴリラは出産し、野生のゴリラと同じようにとても上手に子育てをしたのだそうです。
人間も同じです。どんな環境で育っていても正しい知識を知って取り組めば、正しい子育てが出来ると思うのです。………


親には分からない「学校」という閉ざされた社会の中で起こる危険の実例の一部を紹介しました。
もちろん教育について勉強し、真剣に取り組んでいる素晴らしい先生もたくさんいらっしゃいます。そんな先生と巡り会う事が出来れば幸せですが、そうではない場合もあるのが現状です。
負の教育の連鎖を止める為には知恵を絞らなけばならないと感じています。


2008年6月18日

レタスの花
ベランダのレタスに、花が咲いたよ〜♪
可愛い小さい黄色のお花なの☆★


「混合レタス」の種を買って育てた物なので、これが何というレタスなのかは不明。えっと〜、何レタスかねぇ(^v^;)





2008年6月19日

洗顔用の泡立てネット

ずっと使っていた泡立てネットがボロボロになってしまったので、新しい泡立てネットを購入したの☆


わお!今まで使っていたペラペラのネット(みかんネットみたいなやつ)と違って、すっごくふかふかでボリューム満点!!!
使ってみると泡立ちも最高♪(@´∀`@)ガッツリ弾力のある泡が出来る出来る@@@@@
これ、いいわ〜(;v;)素晴らしい出会いに感謝だわ☆

2008年6月20日

ラーメン淨心家
本日は、ずっと気になっていたラーメン屋さん「淨心家」に行って来たの♪
こちらは醤油ラーメン。お出汁がきいていて美味しい〜〜♪
塩ラーメンが人気らしいので、次回は塩ラーメンを試そっと☆


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